気になる用語

 知的障害・精神障害がある人への支援で、しばしば出てくる言葉に「強化(子)」「消去」「誤学習」といったものがあります。応用行動分析、ABAではおそらく頻回に使われる言葉だと思いますが、その言わんとすることは理解し、一定、同意できるところも少なからずあるのですが、人への支援という姿勢(スタンス)という視点に立った時、あたかも人を操作するような姿勢であるように感じてしまいます。それが支援だと言っても、はたして人間的な関わりなのかというと、なにがしか冷めた印象を受けて、少なからず違和感を覚えてしまいます。
 例えば、話し言葉を持たない知的障害がある人が、壁に頭を打ち付ける、あるいは自分の頭を手でたたくといった行動が見られた時に、「計悪的無視」をすることによって、そのような行動が減る(消失する)ということが言われたりします。実際、そういうことは多々あることであることも私は否定しません。自傷によって、自身に注目してもらえる、かまってもらえるという「誤学習」を「消去」するのに「計画的無視」は有用だとする考え方(理論)で、そういうことは結構あることだとも思います。しかし、言葉で表現できない重い知的障害がある人にとっては、もやもやした思い、納得しがたい状況にある時に、その解消手段として自傷という表出になってしまっているのだとすれば、その背景を多角的に丁寧に探っていくことがまずは最初に取り組まなければならないことではないでしょうか。支援者がどういう反応を取るかということは大切ではありますが、当人の思いに目を向けることなく、表層的な対応をとるだけでは、当人と支援者の思いの乖離が広がるだけになってしまうのではないか、と危惧したりもします。
 環境調整ということもよく言われたりしますが、もちろん、それはそれで必要なことではありますが、大事なことはさまざまな対応を取る前後で、その人の思いや行動の背景をしっかり知ろうとする姿勢であると思います。

                                                             森