障害児通所支援の行方(2)~検討会の迷走

昨日(2月6日)、厚生労働省の障害児通所支援に関する検討会(以下、「検討会」と略します)の9回目の会議が行われ、事務局が出してきた報告書の素案に対して、有識者・関連団体代表・行政関係者からなる構成員からさまざまな意見や質問が出ました。今年度行われている検討会は、昨年度に開催された障害児通所支援の在り方に関する検討会(以下、「在り方検討会」と略します)を受けて、在り方検討会から次の障害福祉サービス等報酬改定(2024年度)に繋げていくための通所支援の再編を詰めていく位置づけで開催していると見てきていました。ところが、2月6日に事務局(厚生労働省障害児・発達障害者支援室)が出してきた報告書素案は、在り方検討会で整理したはずの(仮称)総合支援型と(仮称)特定プログラム特化型に障害児通所支援を分ける構想の記述は消え、素案で示された習い事や塾のような内容の言わばカルチャースクールとも言える事業所は、公費を支出する対象とはしない、ということ、また支援時間の長短に着目した報酬評価の検討、といったことに対する構成員からの揺り戻しの発言が相次ぎ、もしこれらの構成員の意見(発言)を取り入れて素案の変更を行うならば、在り方検討会でまとめられた報告書は何だったのか(矛盾をきたすのではないか)、とも言える様相を呈してきたと言わざるを得ません。

何より、素案、またそれに対する構成員の発言(意見)を聞いていて危惧したことがいくつかあります。

1.重度の障害児の行き場、特に中高生の居場所が、障害児本人のより良いものになるのか、とっても疑問

素案も構成員の意見も、障害児自身のウェルビーイングと英語でもっともらしいことをお題目では言いながら、インクルージョン=一般施策への移行支援という基本スタンスがそこかしこに見られ、小学生の間なら学童クラブを利用する、児童館を利用するなどの場は、市町村による制度や施策の差はあれ、一応は公的なものがあると言えなくはありません。ですが、中学生以上になるともともと障害児の受け入れを行ってきている歴史がある一部の学童保育所などを除き、少なくとも重度の知的障害がある子ども(行動障害はなく、また自閉症でもない重度の子どもも含め)の居場所はほとんどなくなってしまいます。軽度の子どものように、習い事に行く、友達同士で遊ぶ、ということもほとんど期待できない子どもがいることを見落としていないでしょうか?ところがこのような子どもに対して、素案や構成員の意見として出ているのは、発達支援の時間と見守りの時間を分けるとか、そもそも発達支援と見守りの支給決定を分けるとかいう案というものです。この案は、何を基準にして「発達支援」や「見守り」というのかを明確にしないまま(発達支援の時間と見守りの時間と明確に分けて支援するというスタンスの方がむしろ不自然に思えるのですが)、透けて見えるのは見守り=大したスキルも要らない支援、だから日中一時支援なみの低い報酬単価でいい、という重度の子どもの支援を手厚くするという考え方に相反する方向性です。10年以上にわたって近隣の障害児通所支援を見てきていて私が思うのは、幼児や低学年の子ども、軽度の子どもが通える事業所、また特定のプログラムに絞った事業所はずいぶん増えたけれど、重度の知的障害の子どもが利用できる事業所はそれほど増えていない、中高生が通っている事業所も限られているという実態です。もちろん、障害児と言われる子どもの実数も重度の子どもより軽度の子どもの方が多いでしょうが、重度の子どもが通える事業所を探すのはこれだけ事業所が増えた今でも苦労しているのが現実です。その背景の一つには、重度の子どもに対して関わる難しさや人員配置的なことがあり、その割には放課後等デイサービスは児童発達支援に比べて加算が取りにくい仕組みになっているという運営上の問題もあるかと推察しています。検討会の取りまとめ方でこのままいくと、重度の子どものより良い日々は奪われかねないこと(報酬の引き下げ→支援の質の低下)を大変危惧します。

同様に、特に中高生になって増えてくる不登校になる子どもへの支援として、放課後等デイサービスの果たす役割に記述はあるものの、退学した場合やそもそも中学校卒業後進学しなかった子どもの場合、もともと未就学児を対象にしている児童発達支援や「者みなし」の利用という言わば制度の狭間にある状態を言わざるを得ない状態で、今回の素案でやっと居宅訪問型児童発達支援の対象として検討、という記述が見られるようになりました。このあたりの問題意識も、どうしても検討会では、特に中高生の年齢にあたる子どもへの支援への意識が軽んじられている印象がぬぐえきれません。

2.子ども同士の持つ力(関係力動性)を軽視している

どういうことが、報告書の素案に書かれていて、書かれていないか、ということを見てみると、これまで(第8回まで)の検討会で意見が出ていた通所支援という箱(場)で、大人が図らずとも自然に見られた子ども同士の関係性、例えば年上の子が年下の子のことを気に掛ける、軽度の子が重度の子の世話をすると言ったことを顧慮しないか軽視していて、もっぱら大人が子どもにどういう支援が行えるかにばかり目が注がれ、だから集団より個別支援が有効だ、より発達につながるのだ、という一面的な議論に流れているきらいがあります。この側面だけで捉えると、作業療法や理学療法、言語療法などの専門的支援が子どもの発達により良いはずだ、と必ずしも子どもがどうやって育ってきたかという振り返りもないままの安易な専門家信仰に陥ってしまいかねません。そもそも障害児通所支援の柱とされている「健康・生活」、「運動・感覚」、「認知・行動」、「言語・コミュニケーション」、「人間関係・社会性」の5領域で、とりわけ人間関係・社会性や言語・コミュニケーションという領域は、大人との1対1の間よりも大人も子ども同士も含めた関係性の中でこそ育っていくものであることを、長年子どもの様子を見てきていて思うところです。5領域を支援していくという視点に立ち戻れば、個別以上に集団の持つ力や意義がもっと評価されてしかるべきなのですが、そういう意見はいつの間にか消えてしまっていますし、素案にもそのことに関する記述は、3行ほどで簡単に触れられている程度にとどまっている印象を受けます。

3、障害児相談支援に求められることに、質量とも追いついていない現状

報告書素案、そして検討会の議論も、例えば子どもの総合的な支援になるように、特定プログラムを行うような事業所の利用にあたって、障害児相談支援がしっかりアセスメントを取っていくべきだ、という「べき論」は、言われることはもっともだとして、しかしそれを担保できるだけの障害児相談支援が、質量とも足りていない現状を知りながら(そのことの発言も頻出するにもかかわらず)、では、誰がどのように5領域をしっかり行うのが障害児通所支援という姿を担保していくというのでしょうか?5領域を事業所がしっかりカバーできるように持っていくために、市町村の関与、ということも検討会の議論で言われていますが、規模の小さい市町村では、そもそも単体で行うのが困難かもしれませんし、逆に規模の大きい自治体(政令市や中核市)では、事業所数が多すぎて一つ一つの事業所について今さらそこまでチェックするのも難しいことが容易に想像されます。ここまで事業所の数が多くなる前に、5領域を行うことを指定要件で明示すべきだったことが、後手に回っていることが否めません。そもそも、子どもの育ちや発達についての理解や知見を学ぶ機会は、現状の障害児相談支援研修カリキュラムにないことは、検討会でも繰り返し触れられている通りです。「べき論」を裏付ける相談支援の養成制度の再検討、研修プログラムの改変、相談支援が単体でも事業として成り立つような報酬体系への改定などの抜本的な施策を行わなければ、障害児相談支援は質量とも上がることはなかなか期待できません。

ほかにも、これまでの検討会、また昨年度の在り方検討会で議論されてきたことを、一部意図的にか、あるいは気づかないまま捨象しているのか、報告書の素案やそれに対する構成員の意見は、障害児自身の思いを本当に大切にしているのか、言うところのウェルビーイングにスローガン通りになっていくのか、疑問に思うことがあまりにも多く、報告書の成文、またそれを踏まえることになるであろう制度再編の行方も懸念される状況になってきています。