障害がある人のこころの世界(滝川一廣さんのお話を顧みて)

 半年以上前から計画していた沖縄に在住の児童精神科医・滝川一廣さんに、精神発達や障害に関わるお話をしていただくことが叶いました。2時間足らず予定していた時間では、用意してくださっていたお話を最後までしていただくことができず、滝川さんにもまた参加してくださった皆さんにも申し訳なく思っています。その時間建ての甘さは事後の今となっては皆さんにご容赦いただくしかないのですが、お話そのものは、やさしく、でも丁寧に深くお話頂いたことが印象深く残っています。
 お話を聞いているとすらすら入ってくるようなお話でしたが、精神疾患や発達障害の捉え方は、必ずしも一般に捉えられているもの(定説的と言ったらいいのでしょうか)とは、かなり異なった見方に立っているのではないでしょうか。
 近代医学は、病気や疾患というものを病因(ウイルスや細菌など)があって、病巣(どこが痛いとか)と病理(咳や熱が出る病気の仕組み)が一致して、病名が名付けられる客観的なものとして診断している。けれども、精神疾患や発達障害は、自身が頭が痛いとか憂鬱だとかいう本人の主観や、周囲からみて落ち着きがないとか注意欠如が見られるとかという周りの人の主観によって診断されている、ということを話されていました。精神疾患や発達障害については、脳の働きに異常があるとか、だから脳の働きをよくすれば疾患・障害は治ると主張する人もいて、その考え方に立った治療?や取り組み?もなされているのかもしれません。確かに何らかの事故などがあって脳がダメージを受けた結果、ダメージを受ける前の精神生活とは全く異なった様相を見せる人もいます。が、それですべての精神疾患や発達障害と言われている人の病因を説明できるわけではありません。むしろ、近代医学が封じている症状による診断を行っているのが、精神疾患・発達障害の領域だと滝川さんはっきり言われたと思います(私の理解が間違っていなければ)。
 精神疾患や発達障害をこのように捉えることで、少なくとも脳トレーニングということに熱をあげることがどこまで効果のあることなのか、疑問符を持ってみることができます。そしてそのような主観的なものが、なぜ障害とされているのか、病気や疾患と捉えられているのか、そこには現代社会で人々がどのような形で生計を営み、毎日を送っているのか、ということが透けて見えます。
 このような見方に立ったうえで、私たち支援者にとって手掛かりになることは、認識・認知(世界を知っていくこと)と関係(世界と関わっていくこと)の発達は、相互に影響し合うというお話でした。認識の遅れや関係性の遅れは、それだけをどのように伸ばすか、ということのみに目を奪われるのではなく、相互に影響し合うということに着目して支援していくことが大切なのだと思います。また、そこには今回お話まで至らなかった自己制御のベクトルも絡んでくるのだと思ったところです。今回のお話は、冒頭の自閉症の子どもが描いた2匹のウサギの絵の説明からして、滝川さんの優しいまなざしと洞察に触れることができて、これ一つとっても遠いところからお招きした甲斐があったと私は思っています。

                            森