読書に誘われる時間~「ペスト」「櫻の園」「退屈な話」
外出好きの自分が、現在の状況で、日常品の買い物や軽い運動以外は外出を控えないといけない日々。仕事上でも、福祉の仕事は、直接人と関わってやり取りして、成り立つ仕事であるのに、極力人との関わりを避けないといけないというジレンマ。なかなか心が晴れることが少ない時期ではありますが、こんな時だからこそ普段以上に読書に割く時間ができたと思って、遅読の私でも休日は、結構何十ページも読むようになってきています。
そんな中で、毎年ではないにせよ、この季節に再読することが多いのが、吉田秋生の『櫻の園』という漫画です。確か1980年代の後半に出た本で、私が持っている本もずいぶん茶色く変色してきていますが・・・。(吉田秋生は、『海街ダイアリー』『BANANAFISH』など数々の名作・ヒット作を描いている漫画家です)
これは、毎年桜の咲く季節にチェーホフの「桜の園」を上演する伝統が続く女子高校演劇部員数人の群像物語です。10代後半の多感な時期を送る女子たちのおのおのの思いが交錯し、また潔癖感や斜に構えてしまう心情などを、どちらかと言えば寡黙に繊細に描かれていっています。数年おきに読んでいるせいもあるのか、いつ読んでも新たな気づきがあり、私のようなおっさんでもキュンとしてしまいます。しかし人を思う姿は、特に10代20代の頃はまっすぐで、子どもたちと接する私たちのような者には、思い出したい気持ちでもあります。
そういえば、この漫画の素材の一つになっている「桜の園」を書いたロシアの作家・劇作家チェーホフですが、10年ほど前に「退屈な話」や「六号病棟」というような中短編小説集を読んだ時に、彼はもともと医者で、作家は副業であったこと、そして僅か44歳でなくなっていることを初めて知りました。チェーホフの小説の代表作の一つである「退屈な話」は、高名な老教授とその家族をめぐる話ですが、彼の養女が、それまでの人生に挫折し絶望にさいなまれ、人が生きる意味に深く悩んでいるのですが、その養女との長いやり取りから朝を迎え、老教授は「ねえ、カーチャ、まあ朝食でもしようじゃないか」というのです。それでも朝はやってくる、というわけです。自分の死期が近いことを悟っている老教授は、自分を慕ってくれる養女に自分は何もしてやれないとすでに観念しています。でも人生に意味があるのかどうかにかかわらず、朝はやってきて、おなかが減ってまあとにかく一緒に食事をとろうではないかと誘うわけです。こんな話を、チェーホフは29歳の時に書いていることに驚かされます。自分の実人生の倍以上の年齢の男の心情をこのように綴っているのですから、チェーホフのその観察眼・洞察力には目を見張らされます。
そして、今回取り上げる本の最後は、不条理の作家と言われるフランスの作家・カミュが1947年に発表した「ペスト」。10年ほど前の新型インフルエンザの流行があった時にも少し注目を集めた作品ですが、今般はその時よりもさらに幅広く読まれているようです。私は、確か7~8年ぐらい前に読んで、もう詳細は忘れましたが、北アフリカのとある町でペストが流行し、その町が封鎖され、ペストの蔓延に立ち向かう医師と町の人たちの連帯を描いていたという印象だけが残っています。カミュは伝染病という不条理に遭遇した人々が、連帯することで抗していこうとする姿をある種冷徹な筆致で描いていたように思います。ですが、彼は伝染病を素材に扱いながら、実はナチスファシズムに抗する祖国のレジスタンスの隠喩としてこの「ペスト」を描いたのではないかと言われています。とすれば、伝染病という不条理と戦う人々の姿を描いて、人々がいがみあったり疑心暗鬼になるのではなく、そして真偽のはっきりしないうわさに惑わされることなく理性を保ちながら、どのように今の事態に処していくべきなのかの示唆を与えらているように思えます。
森