私が今、居ることの不思議~柴崎友香『わたしがいなかった街で』

 大阪市大正区出身の作家・柴崎友香のことを知ったのは、今から20年以上前の「きょうのできごと」という行定勲監督、妻夫木聡主演の映画の原作者であるというところからでした。彼女が描く世界は、大阪人の多くにとってなじみのある心斎橋や谷町、京橋といった町が舞台や背景になっていて、映画の原作以降、けっこう何冊も読んできました。『その街の今は』には、私の行きつけの長堀橋にあるカレー屋さんが出てきたり、描かれる街の情景が思い浮かぶぐらい近しい世界です。岸政彦との共著『大阪』も彼女が育った大正区をはじめとして綴られる街並みは、私にとっても近しいものです。
 そんな柴崎友香の作品で私が一番好きなのは、『わたしがいなかった街で』という小説です。冒頭に、主人公の祖父が原爆が投下される年の6月まで、広島でコックをしていたということを祖父が亡くなってから知った、という話から始めています。もし、祖父が、原爆が投下される8月6日も広島にいたら、もしかしたら祖父はその時点で亡くなり、ということは私はこの世に存在していなかった、ということに思い至っています。この主人公(柴崎の分身とも思えますが)と同じような思いを私もまた持ちます。私の父は第二次世界大戦当時、学生で、にもかかわらず徴兵されることなく、原爆が投下される前日の夜に、京都から鹿児島行きの夜汽車に乗って、広島を通過し、原爆が投下された時間には鹿児島に辿り着いています。新型爆弾の調査に、理学部の大学生が駆り出されているにも関わらず、帰省していた父は招集されることもなく、投下後被ばくも免れています。父には。同世代の多くが出征や空襲などで亡くなる中、生き残ったという思いを強くもっていたのではないかと推察しています。父の生前、当時のことをそんんなに聞くことは私はなかったですが、おそらくいろんな感情を抱いていたと想像します。そうして考えたとき、もし父が招集されて戦死していたら、あるいは投下後被ばくで、後に私の母と出会うことがなかったとしたら、私はこの世にいなかったと折に触れて思います。
 『わたしがいなかった街で』では、主人公が、ユーゴスラビアの空爆やベトナム戦争などの録画されたBGMやアナウンスもないドキュメンタリーを家で見ている、という話が何度か出てきます。その時、主人公は、そのドキュメンタリーで映し出される死者や兵士、その土地にいる人を見て、「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう、と思う。殺されていく人がこんなにたくさんいて、なぜ、わたしは殺されず、倒れて山積みになっている彼らではなく、それを見ているのか、と思う。」この空間も時間も超えて、この世界(地球)にいる、あるいは居た他者に思いを馳せる感覚は大切で、大事にしたいものと強く思います。小説の最後の方に、8月14日に京橋で空襲に遭って亡くなった人を慰霊する碑を訪れるこの小説の二人目の主人公が出てくる場面があります。京橋のあたりは、戦争中、兵器庫があって、敗戦前日にも関わらず空爆があって亡くなった人々がいたということ。ウクライナ、ガザ、スーダン、ミャンマー・・・世界のあちこちで戦禍が絶えていない現実。自分たちに何ができるかというと何とも言えない無力感に襲われますが、少なくともこの世界の現実から目をそらさないということは肝に銘じたいと思います。

                                                               森