社会の決まり事(ルール)を理解していくとは?
前回、このブログで、知的に障害がある人、発達に障害がある人が、この社会の決まり事(ルール)や常識・習慣を理解していくことの難しさと、そもそもそのルールや常識を健常者(定型発達の人)の物差しだけで判断していいのかどうかという問題意識について、綴りました。
今回は、そのルールや常識や習慣を、とにもかくにも知っていく、また理解していくにはどうするのか、ということに焦点を当てて考えてみたいと思います。
この社会の決まり事(ルール)や常識、例えば、どんな時にお金は使われるのか、とか、物事に接した時の手順や順番、といったことを机上や仮定の場面で学んでいくのが、ソーシャルスキルトレーニング(SST)と呼ばれるものだったりします。意訳すると、この社会で生きていく術を身につける訓練、と言えばいいでしょうか。例えば、お金の単位、買い物などでその金銭のやり取り、ということを場面設定して学ぶ、ということがよくされていますが、より大事なのは、限られて設定された時空間で、そのやり取りをするよりも、実際の買い物をするとき、あるいは切符(電車やどこかに入館する時)を買う時にどうしていくのかをその場面で身をもって知っていくということではないかと思います。もちろん、実際場面ではその学習過程で時間がかかると、ほかに待っている人がいたりすると迷惑をかけることも出てくるかもしれません。ですが、仮定された場面と実際直面した時に知る・理解するのとでは、相当な質的な差があると思います。中には、仮定場面では理解しにくかったことが実際場面で直面して、理解できるということもあるでしょう。
過去に、重い自閉症がある人が、何度か電車の無賃乗車で遠方で発見されたという話に接したことがあります。本人にしてみれば、大阪地下鉄(大阪メトロ)ではお金を払わずとも出入りできるのに、相互乗り入れしている他社線まで乗車していて、どこかで降りたら無賃乗車になってしまっていた、というのはきっと心外なことだったに違いありません。どんな時にお金が必要で、その金額はどれぐらいで、ということを理解し、それに応じた振る舞いをするということは実はかなり難しい事柄であると言えるのではないでしょうか?
SSTのように、机上で。あるいは設定された時空間で練習することも、決して無意味ではありませんが、実際の場面で、ルールを理解し、それに応じた行動が取れるようにという目標を立てるとすると、今はコロナ禍で利用自粛も見られる移動支援(またその同系列である行動援護、同行援護、重度訪問介護)の重要性がもっと見直されてもいいのではないかと思います。そして、そのことを省みたとき、なぜ国は、移動支援を障害福祉サービスから除外し、国が義務的経費を負わない市町村事業としているのかが私には解せません。同様なことは、意思疎通支援などについても言えるのではないかとも思っています。
森