理解(認識)の仕方の違い
先日、「マツコの知らない世界」というテレビ番組で、家に絵本を大量に所蔵している人が出て来て、絵本の世界について語っているのを観ました。その話の中でとりわけ印象的だったのが、ホットケーキを作る絵本で、ページをめくっていくうちにある変化が起こっているのが、子どもは気づくことが多いのに、大人の多くは気づかない、という話でした。
なぜなら大人は絵本であっても、絵よりもまず文字を追って見ているのに対し、子どもはまず絵を見て筋を追っているからだと語っていました。大人からの読み聞かせで、子どもが絵本を見ていれば、このことはより顕著になります。子ども自身は、言葉は耳から入ってきて文字を自分で追うことはほぼしていないからです。
ある変化というのは、ホットケーキを作っている人が着ているボーダーのトレーナーのボーダー部分の色が途中から変わっている、というものでした。絵をしっかり見てページを繰っていれば、すぐに気づきそうなことも大人はそれほどしっかり絵を見なくてページを繰っているということが、このことからわかります。
この話は、同じところにいて同じ時間を過ごしていると言っても、その場での情報の取り入れ方は人によって違うということです。この絵本の話では、単純に大人と子どもで分かれましたが、実際は大人個々でも違うでしょうし、子ども一人一人でも違います。その人(子ども)の取り入れやすい感覚(例えば、視覚、聴覚、嗅覚・・・)があったり、どういう物や事柄に関心が行くかということであったり(これを哲学などでは志向性、と言っていますが)によって、物事の理解の仕方(認識の仕方)はずいぶん違ってきます。
ですから、同じ場所にいて同じ時間を過ごしているからと言って、そこで何を見ているか、何を感じているかは、私たち大人と子ども一人一人でかなり違うのかもしれない(もちろん同じ感覚や近い感覚を持つこともいっぱいありますし、そのことを共感、といっていますが)、ということをしっかり自覚していたいものです。
森