気持ちが動いて、変わる
発達心理学者でもあり、医師でもあったアンリ・ワロンの論文が翻訳された『身体・自我・社会』(浜田寿美男訳編、ミネルヴァ書房)を、出版された当初の1983年以来、約40年ぶりに最近、再読しました。雑誌『発達』に連載されていたワロン論文集の翻訳が、一定まとまって本になったものですが、訳者の浜田さんによる詳細な解説が随所に付されていて、初読した当時、とりわけ印象として残っていたのが、情動の持つ積極的な意味でした。ところが、当時の私は、子どもに関わる仕事をしていたわけでもなく、とにかく認知認識、知的操作の発達における特権性を主張するピアジェとは違って、ワロンは、人間そして発達の全体性を見ようとしていた、という程度の理解でした。ですが、子どもとりわけ障害がある子どもに関わる仕事に何年も関わるようになった中で再読すると、ある子ども(人)の情動が、周囲の人を巻き込んで、一緒に楽しくなったり、逆に悲しくなったりするような場面に、幾度も出会っていることに気付かされます。ピアジェに代表される認知適応という切り口で見ると、「情動は単なる心的エネルギー源として、あるいは適応行動を妨げる要因としてしか扱われないのです」(同著、p.215)が、ワロンは情動にこそ、他者も突き動かす共同性の根を見ていることに気付かされます。これは、個体能力を伸ばすことにばかり目が向きがちな現代社会の価値論からすれば、軽んじられることかもしれないですが、生まれたときには他者の手を借りなくては、何もできない、生きていけないという人間の本質的共同性に気付けば、情動(気持ちが動くこと)が、状況を変える・形作るということをもっと肯定的に捉えていきたいと強く思う読後感に浸されました。そんなことを頭の片隅にちゃんと置きながら、子どもたちの育ちを見守っていきたいと思います。
森