映画 窓際のトットちゃん
黒柳徹子の自伝を原作にした「映画 窓際のトットちゃん」は、教育、とりわけ学校教育の在り方について、考えさせられる映画でした。原作の『窓際のトットちゃん』は、確か40年以上前に刊行されてベストセラーになった本で、私も読んでいて、黒柳徹子の人となりをいくらかでも知ったような気になりました。黒柳さんは、確か、そのころから、後に国連難民高等弁務官になる旧知の緒方貞子さんに乞われて、ユニセフ親善大使に就任され、それは現在も続けておられるということです。もちろん、それは戦時下を生きた者として、弱い立場にある人・子どもにいくらかでも役に立てないか、という使命感に裏打ちされているかと思います。ゆえに、つい最近、ウクライナ戦争などに危機を覚えて『続 窓際のトットちゃん』も刊行されたと聞きます。
映画は、日中戦争に入っていたものの、まだ太平洋戦争開戦前だった昭和15年から始まって、昭和20年までを描いているのですが、トットちゃんは、新入生で学校に入ったものの、授業中に席を立ち、窓枠に腰を掛けたり、私語を口にしたりして、学校を追い出されるところから始まります。それで、母に連れられて訪ねたのが、トモエ学園で、使われなくなった電車の車両を教室にして、生徒は思い思いの学習に取り組む自由な校風で、校長先生も差別に関わること以外では、頭ごなしに人を怒ったりしない包容力のある人です。こういう情景を見せられると、今の学校教育がいかに画一的で、系統学習が中心であるかを思わずにはおれません。2016年に、教育機会確保法が公布されてからは、学習指導要領に基づく学習を行う国公立小中学校・私立学校以外の、例えばフリースクールや不登校特例校などへの通学も公的な教育と認められるようになって、いくらかは、「別の道」ができたとはいえ、大多数の子どもたちは、一斉に椅子に座らされ授業を受けるスタイルを強いられています。映画に出てくるトットちゃんを「困った子」「変わった子」と見るのか、はたまた「いい子」と見るのか、むしろ大人の価値観、もっと言えば人間観が問われているように思えます。ずっと困った子だと言われてきたトットちゃんの話を最後まで聞いた校長先生は、「君は、ほんとはいい子なんだよ」と言い、数年後空襲が激しくなってきて、トットちゃん家族が、疎開を余儀なくされトモエ学園を去る時には、「君はほんとにいい子だね」と言って別れる校長先生。
余談ですが、鉄オタの私にとっては、冒頭で東急大井町線の電車と駅が出てくるところから魅入られました。そして、戦争がいかに人を窮屈で不自由な精神に追い込んでいくのかも画面からみることができるでしょう。
森