教育の原点
最近観た「ブータン 山の教室」は、世界で最も幸福度が高いと言われるブータン(とは言え、どのようにしてそのようなランク付けができるのかには疑問符をつける必要があると思いますが)の、首都から8日もかけていかないとたどり着けない電気も車もない標高4800mの辺境にある人口数十人の村に、嫌々赴任してきた教師ウゲンが、教えることに開眼していく姿、そして何よりもその村で暮らす子どもたちのきらきらとした姿、やさしくもあり厳しくもある自然の姿といったことごとに心打たれます。教科書もノートも黒板もなかった教室から、さまざまな工夫を凝らして、子どもたちに字を教え、生きる力を教授していくさまは、これが教育の原点だと思わされます。本来、何かを学ぶことは楽しいことであり、何かを知った(発見した)喜びは、それを知らなかった時とは、明らかに違う世界を生きていくはずだと思うのですが、なぜ今の日本の子どもたちの多くが、休みになると喜ぶような姿になってしまったのでしょうか?学校教育の体制、学習内容(カリキュラム)、社会の中で持つ制度的な意味合い、等々さまざま要素で捻じ曲がったことになってしまっているのだと思わずにはいられません。
現在、私が関わるケースでは、少なからずの子どもが不登校だったり、よく休んだりという状況にあります。個々にさまざまな要素があって、なぜ学校に行けないのかの要因はひとくくりに論じることはできませんが、学ぶことの喜びや家族ではない大人や他児と関わる楽しさに何らかの形で繋げていくことができないかということにこれからも取り組んでいかなければと思います。その手段方法は、放課後等デイサービスなのか、ヘルパーなのか、訪問看護なのか、フリースクールなのか、それ以外の何かなのか、私ももっと生きた知識を得て、探り、知恵を絞らないといけないと思っています。
森