放課後等デイサービスの行方(2)
前回に続いて、放課後等デイサービスの行方についてもう少し考えてみたいと思います。
人間えてして、現在の自分の立ち位置(ここでは、制度的な位置づけ、と言い換えてもいいかもしれません)を暗黙の裡に肯定的、もっと言えば正当なものとして物事を考えてしまう傾向があると常々思っています。指定上の基準に則って、体制を整え、行政から指定を受けて事業を行っていると、その制度に守られかつ守られようとして、事業の意義を内外に示しながら事業は営まれます。おそらく厚生労働省が制度設計当初に想定していた以上の事業所が開所され、あまりに増え過ぎて、しかも緩い指定基準ゆえにその質が担保されているのか、などの批判を受けて、今度は逆に職員の資格などのハードルを上げたものの充分な職員体制を組めるほどの報酬体系にはなったとはいいがたく、なんとも中途半端な制度的な位置にあると私は感じています。
2014年7月に厚生労働省でまとめられた「今後の障害児支援の在り方について(報告書)」では、放課後学童クラブなどの後方支援と位置付けられた障害児通所支援ですが、これは大阪市では、市立各小学校に設置されている児童いきいき放課後事業とは違う意義(子どもにとってなぜ必要なのか)を自己検証することにつながっていくことだと思います。ノーマライゼーションやインクルージョンが望まれる姿として社会に認められてきている中、なぜあえて障害がある子どもだけを集めた箱モノが必要なのか? そして、一般の塾や習い事ではなく、なぜ児童福祉なのか障害児福祉なのかに立ち戻ってデイのあり方を検証し、事業の中身を作っていく必要があると思います。
塾や習い事なら福祉という公費(税金)を使うことになじむのか、そういう議論が本来は必要なのだと思います。ただ、これまでの報酬改定で厚生労働省が論点整理で出してくる事柄は、残念ながらもっと表面的な「ただ遊ばせているだけで、支援技術のない質の低い事業所が増えている」、だから資格を持った「専門的な」支援を行える事業所がいるのだ、という議論に持っていっているように思えてなりません。
例えば、強度行動障害があるという子どもが、単に作業療法士や言語聴覚士が訓練時間を設けて、そこでプログラムを実施したからと言って、それがどこまで有効な支援なのか、子どもに響くものになるのか、そんな単純なものではない、とはこれまでの経験で私は感じてきているところです。まずは、今のあるがままの子どもを認め、受け入れ、そのうえで彼らが感じている今の社会での生きにくさから、どう折り合いをつけていくのかを手探りしながら行っていくしかないと私は思っています。そこでは関わる人(支援者など)の姿勢や感性、経験値などので大きく左右されると思いますが、それは資格の有無とは必ずしも一致するとは言えないものと思います。
放課後等デイサービスが、誰のなんのためのもの(場所)なのか、極めて根本的な問いですが、それこそがやはり第一に考えられなければならないものだと思います。
森