支援の目標と本人の目標
2月9日にあった支援者ネットワークえぽの「支援の壁~制度が関係性に及ぼす影響~」というシンポジウムに参加してきました。このブログでも取り上げたシステム=制度がはらむ両面(人の生活を守る側面と逆に生活を脅かす側面)について、また考える良き機会となりました。基調講演で、浜田寿美男さんが、例えば、現場で作られる支援計画について、それが本人の理由(都合)によって作られているのか、あるいは支援者が本人を外から見て目標を立てて作っているものか、という問いかけをされました。
考えてみれば、私が相談支援専門員として書いている「サービス等利用計画・障害児支援利用計画」は、国ないしは大阪市が決めた書式にのっとって書いていますし、そうしなければ障害福祉サービス等の支給決定がなされません。しかし、なぜこの書式なのか、この書式が実際の支援にとってベストのものなのか、考えてみるといくつも気になることが出てきます。
大阪市の書式にはありませんが、大阪府の書式には、「総合的な援助の方針」のすぐ下に「長期目標」「短期目標」という欄もあって、そこにも書き込みが必要となっています。ですが、この目標というのは、支援の目標なのでしょうか? あるいは本人(障害者・障害児自身)の目標なのでしょうか? 支援の目標というのなら、まだ理解できますが、本人の目標と、もしいささかでもいうのなら、本人からすれば大きなお世話だという人も当然いると思います。人生設計があって、その設計に沿って生きたいという人もいれば、そんな目標なんて立てたこともなければ、立てたいと思ったこともないという人だってきっといると思います。それは、人それぞれで、どちらがいいとか他人がとやかく言う筋合いのものではないはずです。にもかかわらず、障害があって障害福祉サービスなどの支援を受けたいとなったとたんに自明のように目標という言葉が行きかうようになることはおかしくないでしょうか?、その人(障害者)の生活をゆがめたり脅かすことに陥る危険はないと言い切れるでしょうか?
こうやって考えてくると、支援計画は、本人のためのものなのか支援者のためのものなのか、もちろん本人にとっても支援者にとっても有意義なものであって、そこに齟齬がなければ、支援計画を問題視することはないかもしれません。ですが、いささかでもそこに齟齬を感じるなら、制度がはらむ良さと悪さという両面を意識せざるを得ません。
相談支援事業者が作る「サービス等利用計画・障害児支援利用計画」を受けて、各直接支援者(通所やヘルパー事業所など)が作る支援計画では、支援目標という書きぶりをするのかどうか今一度考えてみることも意義あることではないかと思います。ちなみにうちのデイ・ちゃんぷるでは、支援目標と書かずに、「支援の課題」「支援の留意点」としています。子どもたちにとって目標に沿って生きてね、とか目標に沿って生活してね、というのはどこかおこがましいと思うところがあるからです。だからと言って、なんでも本人の好きなようにしたらいいと言うのではありません。育ちゆくものとして、いろいろ大人が言ったりやり取りすることは当然あると思います。ではあるけれども、外から勝手に人生目標的なことを書いたり言ったりしていいのか、どうも釈然としません。現在の行政によって指定された書式にのっとって「計画書」を作るジレンマは続いていきます。
森