指示に従う/従わない、遊ぶことが仕事

知り合いのケアマネージャーさんに教えてもらったもう一冊の本は、朴沙羅さんの『ヘルシンキ 生活の練習』(筑摩書房)です。父が韓国人、母が日本人で、日本国籍を持つ朴さんは、いつも何人なのかと聞かれ、いつ「朝鮮人は朝鮮に帰れ!」と罵声を浴びせられるかもしれず、自分は何者なのか、と悩まなければならない状況に身を置くことを止めて、縁あって、二人の子どもと地球の反対側で暮らすことになり、そのかの地で体験し思ったこと・考えたことがつづられたのがこの本です。

朴さんは、社会学を専攻する学者で、縁あって2020年2月からヘルシンキ大学で教鞭をとることになり、日本でそこそこのキャリアを積んでいる夫を置いて、二人の子どもとともにフィンランドでの生活を始めます。子どもは当時、6歳と2歳。フィンランドでは、親(保護者)の労働状況がどうかということに関わりなく、保育園に入るのは「子どもの教育を受ける権利に紐づいている」ので、「親が主婦/主夫であろうが、働いていようが、子どもを基本的に保育を受ける権利がある」(p.27)そうで、保育園はいわば、日本の保育園と幼稚園を兼ねそなえた機能を持っていると言います。

弟のクマ(仮名)が、子ども向けのあるダンスワークショップに参加したところ、指示をすべて無視するので、「フィンランド語がわからないの?」と私が質問したら「ちがう。ぼくは、言われたとおりにするのがいやなだけ!」とはっきり返事したことを保育園の担任に話したら、「私の見る限り、自分或いは他人が危険ではない時だけ指示に従わない、それは自分の独立した考えを持っていることを意味していて、とてもいいことではないか」と言われたと言います(p.106)。また、姉のユキ(仮名)も「嫌なことをはっきり嫌だと言い、常に自分の考えを持っていてすばらいい」と保育園の先生から言われたが、かつて住んでいた京都の保育園では褒められたことはなかった、とも振り返っています。決まったことをやらないといけない、みんなが同じことをしないといけない、という価値観があたりまえかのように根付いている日本の現状とずいぶん異なる価値観をここでは見られます。

学校での教育についてもこの本でいくらか書かれていますが、その一つ。朴さんが見るところ、ユキが小学校に入学してから、1年生で勉強する量が少ない、と言います。ですが、それは担任の考えによると「子どもの仕事は遊ぶこと」だと言います。曰く、「子どもが望まない技術を強制的に身につけさせるのはときとして要求が高すぎて、大人の満足にのみ結びつく危険があります」「遊びを通して学ぶほうが、学ぶと思って学ぶことより身につくことがあると私たちは考えています」「アカデミックな技術であれそれ以外の技術であれ、6歳や7歳の子どもを長時間座らせて一方的に教え込むのは、害の方が大きいかもしれません」「子どもの情熱の持っていく場を大人が見つけるのではなく、子どもが自分で見つければいいし、見つけられなくてもそれでいいではありませんか。幼いうちに何かを強制されて「これは嫌だ」と思うのは悲しいことです」。(p.253~254)

朴さんは、このようなフィンランドでの制度やものの考え方・価値観などを紹介しながらも、日本はこんなにダメで、フィンランドはいい、と言っているのでは決してなく、フィンランドは、ヨーロッパ諸国の中でも移民の受け入れに消極的だということも数字をあげて紹介していますし、ちゃんと「助けて」と言わないと助けてくれなかった、というエピソードもいくつか紹介しています。とはいいながら、私たちがある種暗黙の裡に(つまり無反省に)絶対的だと思っている価値観やものの考え方を今一度考え直さないといけないということに気付かされます。