山中恒さんのこと
1970年代後半から1980年代にかけて、児童文学ブームともいえる時期があって、例えば、『兎の眼』や『太陽の子』などを続々と出版した灰谷健次郎や今江祥智など、そこで障害がある子どものことや沖縄戦のことに改めて目が向けられるような話題作がいくつも世に出て、私もいくつかは読んでいました。ただ、そのようなブームとはちょっと一線を画していたのが、山中恒さんだったように思います。1931年生まれの山中恒さんは、軍国主義に染まった「優等生」だったのに、日本が敗戦すると、大人たちが掌を返したような姿に変わっていくのを目のあたりにして「そのとき大日本帝国の少国民として敗れ、更に信頼していたおとなの裏切りに敗れ、二重に敗れた」(『ボクラ少国民』)経験から、反骨心が育まれていったのではないかと思います。自身のことを児童「文学者」と呼ばれることを嫌い、児童読み物作家と名乗り続けたことにもこだわりを感じます。
私が初めて、山中恒さんの名前を知ったのは、映画「転校生」の原作者だというところでした。「転校生」のことは、だいぶまえにこのブログでも書いたように思いますが、その原作は、『おれがあいつであいつがおれで』というもので、楽しくも人の気持ちにどう辿れるのかという普遍的なテーマにも取り組んだ傑作といえる作品だと今でも思います。そこから、『ぼくがぼくであること』や『六年二組の春は』といった作品も読んで、それは今でも心にしっかり残っている作品です。第三舞台などとともに1990年代前後の小劇場ブームの一翼を担った自転車キンクリートのメンバーが愛読書として『ぼくがぼくであること』を挙げていたことがあって、彼女たちからすれば一世代前の作品なのに、読まれて、心に残っていることにもうなづかされるものがありました。
その山中恒さんが、今年3月に94歳で亡くなられています。大作『ボクラ少国民』はなかなか手に取ってみようという気持ちにまで至りませんが、山中さんが終生見せていた反骨心には学んでいきたいものだと思っています。
森