小さな村で日々を営む人々~映像のまなざし
好きな洋画を1本選ぶとすれば、私は迷わずラッセ・ハルストレム監督の「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」を挙げます。父は船乗り(らしい)で、母は重病を患っており、治療のため母が入院している間、叔父夫婦が住む田舎で暮らすことになった10代初めの少年と彼の家族親戚、そして村のさまざまな人との交友・関わりを描いた作品です。
少年イングマルは、自分の置かれた境遇を宇宙ロケット・スプートニク号に乗せられて餓死したライカ犬よりましだ、と考えるようにして、母との別れ、愛犬シッカンとの別れにも必死で耐えようとしています。その彼を温かく見守る叔父夫婦を始め、叔父が働くガラス工場の職人たち、年中どこかの家の屋根を直し続けるおじさん、空中籠を作って子どもたちを乗せてあげるおじさん・・・ そしてその田舎でイングマルが出会うサガというスポーツ万能のボ-イッシュな少女をはじめとする子どもたち。そのどの人たちにも温かい視線が注がれる映像。ちょっと風変わりな村人の存在をお互い認め合い、日々をいつくしむようにして営んでいる様子が淡々と描かれていきます。
ところ(国)も時代背景も違いますが、例えば近年の作品で言えば「この世界の片隅に」に近い透明感に包まれていると言ったらいいでしょうか。因みに「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」の舞台は1950年代のスウェーデン。イングマルが新しいトースターを買おうとした、というのがポップアップ式の物ということが描かれていますから、便利なものがまだまだない時代が舞台背景です。現在の日本と比べるまでもない社会ではあります。
しかしこの映画で描かれるまなざしは、普遍的なものと私には思えます。いろんな人がいて、どうなんだかなあ、ということがあったとしても、お互いを排除しない、どこかでその存在を、この同じ世界を生きている者同士として認め合い、日々を生きている姿を描いているところにこの映画の最大の魅力があるのだと思います。映像は主人公イングマルの視点が中心で描かれていますが、主人公のみにスポットが当たるのではなく、周囲の人々も欠点があったり笑えるところがあったりだけど、みんな魅力的に描かれています。
因みに、このブログを書くにあたってネットを見ていたら、今ちょうどTOHO系の映画館で<午前十時の映画祭>という年間企画もので、この「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」が上映されているようです。この作品を5~6回は観ている私もすべてビデオでしか観ていないのでDVDも持ってはいますが、一度、映画館のスクリーンでも観たいなあと、目下スケジュール帳とにらめっこしています。
ラッセ・ハルステレム監督は、この後「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春夏秋冬」とスウェーデンの作家リンドグレーン原作の本2作を撮った後、アメリカに渡り、知的障害を持つ少年役を演じたレオナルド・ディカプリオが脚光を浴びて出世作となった「ギルバートグレイプ」や「サイダーハウスルール」「ショコラ」「HACHI」などを次々に撮っていきますが、私は今でも断然「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」が好きです。