子どもの生活世界

 ちゃんぷるでは、室内での活動だけでなく、日常的に近くの公園、図書館や商店街などに出かけています。子どもにとって放課後や休日は、家の中だけでなく、歩いてまたは自転車で行けるところに出かけるのが日常でしょう。ところが障害を持った子どもは、そんなあたりまえに気軽に一人で、あるいは友達と出かけることすらままならないことが多いです。保護者やだれがしか大人がついてすらいくことが多いでしょう。それは、「ひとりで大丈夫か?」と大人が見ていて思うからでしょう。確かに外を往来する車や自転車、場合によっては歩いている人にもぶつかるかもしれないことを心配しないといけないでしょうし、行ってもちゃんと帰ってこれるか?、という心配もあるでしょう。休日もいろいろ気をつけないといけないことを思ったり、便利さゆえなどに車で出かけて、帰ってくることにも多いでしょう。
 でもこうしたことは、健常児であれば普通に経験できていることを障害を持った子どもは、外で自分の体を使って自由に遊ぶ機会を奪われたまま育ってしまうことになりかねません。いつも大人の目があり、安全を担保してもらっているも世界でしかないことになります。
 もともと子どもには、大人の知らない子どもだけの世界があり、ひそかな楽しみを子ども同士だけで共有したりする部分もあったりすると思います。でも多くの障害を持った子どもは、こういう経験を得ることが難しいわけです。もちろん、私たちは子どもに関わることを仕事としているので、子どもの安全にまず何よりも目を向けなければなりません。デイを利用している子どもを見ていないなんて時間があってはならないことです。
 ただ、それでも心しておかないことは、手助けしすぎないことだと思います。トイレも一人で行って、ちゃんとするべきことが一人でできるようになれば大人が一緒に入る必要もありません。過不足なき支援ということです。でも、屋外遊びでそういうことができるかというと、やっぱり大人の目が必要ではあるという面は否定できないですが、難しい問題だと思います。

 話がずいぶん脱線しました。私が言いたかったのは、今言ったこと以上に、子どもの生活にとって、屋内という守られた場所だけでなく、屋外で、遠い先を視てその先に何があるかを思ったり、高い空を見上げて流れゆく雲に見とれたりする体験の貴重さを思ったときに、子どもたちの放課後や休日を預かる私たちの場所が、そういう機会(環境)を用意できるかどうかはとっても大切なことだということです。
 かつて耳にした某市(大阪市ではありません、念のため)では、デイ事業所に対して基本的にデイは室内活動であるべき、という指導がなされたという話を聞いたとき、私は憤慨とともに絶句してしまいました。その市の担当者が言うことも子どもの発達・成長、生活世界を何も理解していないし、そのことに抗議しない事業所もどうして黙っているのか、と。
こんなことがまかり通っていては、子どものすこやかな成長は望めません。

 ただ今の子どもたちは、障害を持った子どもに限らず、ゲームやタブレットなどの世界に早くからなじみ、外で遊ばないとても生活半径の狭い世界で生きているのはないか、という危惧もあります。屋外で遊ばないことで使われないからだがあり、それゆえわざわざ屋内で身体を動かす教室などに通うことに偏ってしまうことになっていないでしょうか?
幸いちゃんぷるでは、長居公園を始め、子どもたちが日常的に遊べる公園があり、生活半径が伸び縮みする経験を子どもたちが重ねていってほしいと願っています。

                                 森