再び、コミュニケーションについて

 子どもの養育や保育、療育という領域で、コミュニケーションという言葉をよく使いますが、私たちは、ともすればコミュニケーションというと、言語(言葉でのやり取り)による部分をイメージしがちで、しかし非言語的コミュニケーションによる部分がコミュニケーションにのうちの約7割を占めるということもよく言われていることも知識として知られるようになってきています。ただ、この非言語的コミュニケーションというと、表情や身振り手振りから感受されるところの視覚的なもの、あるいは声の強弱や高低などの聴覚的なものをイメージすることが多いのではないでしょうか。というか、私自身がそのように思っている部分が大きかったのですが、伊藤亜紗さんの『手の倫理』という本の「コミュニケーション」という章では、さわる/ふれる、とか、手取り足取り、というように触覚(皮膚感覚)によるコミュニケーションも普段から私たちは行っていることを解き明かしてくれています。この観点には目から鱗が落ちる思いがしました。例えば、ある動作を習得するのに誰かがやっている動作を見よう見まねでやってみてもできないときに、誰かが補助して手取り足取りで教えてくれることがあります。教える⇔教わる、というときにやり取りされるコミュニケーションで、実は視覚的や聴覚的なものだけでなく、触覚も作用することに気付かされます。
 しかしながら、触覚は、視覚や聴覚と違って相手に直接、触れるわけですから、相手に対する信頼がないと成り立ちません。触れた途端「触らないで!」と拒否されるかもしれませんし、場合によっては、相手が叩いてくるとかいうことだってあり得ます。視覚や聴覚のように遠いところから(場合によっては、ネットでの画面でのやり取りや電話なども含め)コンタクトを取っていくのではなく、まさしく接近して行うのでリスクも伴います。そこでは、お互いの信頼がないと、この触覚によるコミュニケーションは円滑に行われません。とは言え、コロナ禍にあって、しきりに言われるフィジカルディスタンス(ソーシャルディスタンス)は心掛けないといけないこととは言え、触覚によるコミュニケーションを切り捨てることにならないようにもしたいものだと感じています。また、例えば、看護の世界で言われる手当て、ということも文字通り手で触ること(背中をさすってあげるとか、患部に手をあてるとか)で安らぐ、落ち着くことにつながっていて、やはりさわる/ふれることを無視することはできないことなんだと思います。一方でフィジカルディスタンスも意識しながらのジレンマの中でも、触覚によるコミュニケーションも意識しながら、私たちの関わりや支援も行っていきたいと思います。
                                                    森