一人一人を知っていくこと

 先日、東住吉区地域自立支援協議会子ども部会で、「知的障害がある子ども」をテーマに、精神科医・本谷研司さんにお越しいただき学習会を行いました。発達障害については、そういわれる(見られる)人・子どももかなりあることも関係しているのか、研修会や学ぶ機会も多くあり、また関連した出版物やSNSも目にしやすい状況にあると思います(少なくとも、私たち障害福祉や教育関係者にとっては)。ですが、知的障害については、あまり研修会や学習会を目にする機会も少なく、でありながら発達障害とも関連・関係することなので、学び直す機会を持てたら、というねらいで今回の学習会開催となりました。因みに、今年3月にまとめられた「障害児通所支援に関する検討会報告書」では、障害児通所支援の質の向上のために地域自立支援協議会のもとに子ども部会を設置し、その子ども部会が一定の役割を果たすよう求められています。この協議会は、自治体にもよりますが、多くの予算が確保されているわけでもなく、法定化されている割には、実態はその地域の熱意などに頼っているというもので、報告書で謳われていることはあくまで目標という域を超えるものではないというように個人的には思います。
 本谷研司さんには、これまでも行動障害や意思決定支援をテーマにした学習会にも講師としてお招きしてきていますが、今回はもっと根本的な「知的障害とは?」というテーマだったということもあり、いつも以上にボリュームのある濃密な2時間でした。本谷さんがお話された論点の最も大切なことは、例えばIQ(もしくはDQ)45という数字だったり、ADHDだったり、ASD(自閉スペクトラム症)というような診断名は、知的障害がある目の前にいる人(子ども)を知る一つの手がかりにすぎず(あるいは一側面でしかなく)、その人が持つさまざまな「事情」を知っていくことだ、ということでした。一例で言うと、同じIQ(DQ)45という判定が出たとして、Aさんは話すことは得意で一定の日常会話が成り立つけど読み書きは苦手、でもBさんはほとんど話ができないけど、文字の読み書きはかなりできる、というように数字だけでは見えない・わからなくて、その数字は目安に過ぎないということです。そもそも知的障害となった原因もさまざま(わからないことも多い)で、その後の成育歴も一人一人違えば、家庭環境や生活環境もさまざま、出会った人や事柄も違うし、受けてきた支援も違う、そういったことを一つ一つ知っていくことが、目の前にいる人・子どもを知るのに大事なことだということを改めて教えられる機会となりました。同じ家庭(生活環境)にいても、好きなことは一人一人違うし、好きな色も違うでしょう。そういうことをつかんでいくこと、これは、今の私の職種の相談支援の分野では、アセスメントをいかに多角的かつ重層的にとっていくのか、ということに置き換えられるかと思いますが、そのことを肝に銘じてこれからもより良い支援を目指していきたいと思います。

                                                            森