ヤングケアラーという概念

ヤングケアラーという言葉をよく耳にするようになったのは、この数年のことでしょうか。世間一般の周知度はどれぐらいかちょっとわからないですが、少なくとも児童福祉や教育・保育に従事する私たちのような職種の者にとっては、その中身や内実をどれぐらい知っているかは別にして、その名前やどういうことを言っているのかは漠然とにせよ、かなり浸透してきているように感じます。加えて、今年に入って早々に、大阪市から私たち福祉事業者向けに動画配信による研修も受講できる機会も提供されるようになっています。それだけ、ヤングケアラーに関わることが、今日的な課題と広く認知されるようになってきたのだと言えるのでしょう。

しかしながら、その存在ということであれば、ヤングケアラーという存在は、なにも近年に始まったことではなく、むしろ数十年前までは、例えば10歳前後以上の子どもが、父母の代わりに赤ちゃんをおんぶするような姿は、きっと結構当たり前のような風景だったのではないでしょうか?(私自身は、核家族できょうだいもそんなにいたわけではないので、いろんな媒体で見る古い写真や映像でしかそのような姿をほとんど見た記憶がないのですが)あるいは、そこまで遡らなくても、私が手話を学ぶようになって、ろうあ者家族にも出会うようになると、両親がろうあ者で、その子どもが健聴者の場合、幼稚園ぐらいの子どもでも両親に代わって、手話を知らない周りの人と両親のやり取りの間に入って、手話通訳(また読み取り通訳)をするような姿をよく見かけたものです。メールはおろかFAXも一般的ではない時代(と言うと、もう30~40年ぐらい前になってしまうでしょうか)では、両親の代わりに電話を掛ける・受けるということもよくされていたと思います。それは、一方では、子どもながらに社会的な役割を持ち、人間性を育てていくことに自然とつながっていく面もあり、肯定的に捉えられる面もあります。ですが、他方、子どもが大人とは別の時空間を持つ機会を、他の子どもに比べて少なくしてしまう面もあって、もっと言えば、時には親が子どもを必要として、子ども自身の思いや歩む道を妨げてしまうこともあり得ることで、そうなると肯定的だけに捉えることもできません。持って回った言い方をしましたが、例えば、最近公開された「Codaコーダ~あいのうた」という映画では、今言ったような功罪の両面が描かれています(ドキュメンタリーではなく、劇映画ですが)。ろう家族の中で、唯一聞こえる娘は、漁師を営む父と兄と一緒に漁船に乗り込むことを求められます。しかし彼女には、家から離れて進みたい道(音楽大学への進学)があり・・・、といった話です。

子どもは子どもなりに、家族や社会での役割があること自体は、意義あることではあります。しかし今日的な課題としてあるのは、親が精神的疾患を抱えていたり、あるいは経済的な貧困にあったりして、お手伝いの域を超えて過重な家事を担わされたり、家業手伝いを強いられるなどの結果、学習したり、またほかの子どもたちと遊ぶ機会が奪われたり、といった子どもの生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利が脅かされていないか、というところかと思います。もちろん、こうは言っても、どこからが過重な労働やケアで、育つ権利や守られる権利が脅かされているのか、明確で一律な定義があるわけではない、という点も押さえておかなくてはいけないでしょう。ですから、この問題を考える上では、多角的な視点やいろんな人の目(捉え方)を突き合わせていくことも必要な作業だと思います。

さらに、文化的な視点で見れば、例えば、もうこれも20~30年以上前の古い映画ですが、イラン社会での子どもの姿が描かれているアッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」(ちょうど、今京阪神では「そしてキアロスタミはつづく」というキアロスタミ回顧上映がアート系映画館で上映されていますが)やマジット・マジディ監督の「運動靴と赤い金魚」を観ると、子どもながらに家庭内や社会での役割がある姿が描かれていて、否定的な面ばかりではないと思わされます。とは言え、やはり、子どもの権利条約に謳われる4つの権利が脅かされていないか、という原則に立って見ていき、必要な手立てが打てるようにしていきたいものです。