わからなかったことがわかるようになること

 先日観た映画の中で、主人公が、イタリアに渡りイタリア人と結婚して暮らしている友人を訪ねる場面が出てきました。主人公は、あいさつ言葉である「ボンジョルノ」ぐらいしかイタリア語を知らないので、クリスマスでたくさんの人が会話を交わしている内容がキツネにつままれたように皆目わからないという状況に置かれてしまいます。その映像を鑑賞している私もイタリア語は全く知らないので、映画の主人公同様、自分ひとりだけが何を話しているのかわからないという取り残された感・孤独感に囚われてしまいます。しかし、話されていることは何もわからないけれど、その場にいる人たち誰もが、遠い異国から来たその主人公に、笑顔で親密な態度で接してくれることで、時間の経過とともに主人公もちょっぴりその場になじんでいくことができてきます。
 知的障害がある子どもが、話し言葉の世界の中で、少しずつ言葉の意味をなんとなくわかるようになり、そのわかることが増えていき、またぼんやりとつかんでいた言葉の意味が、次第にはっきりわかるようになる、ということが月日の経過につれて見られる、ということに、その映画の場面を観ていて共振するように思いました。
 このように、言葉を少しずつ知っていく、わかっていく過程で注目すべきことは、楽しい雰囲気の中(環境)で、日常的にそのような場にいることで、いつの間にかわかるようになる、ということが多々見られるということです。大人がしかめ面して、わからせよう、覚えさせようとするよりも、その子にとって、居心地の良い環境の中でそこにいる人たちが話している、またその子に話しかけていく中で習得されることの方が意外に多いかもしれません。だからこそ、子どもにとって居心地のいい楽しい雰囲気である場(環境)を作っていくことが大切なんだと思います。

                                            森