ちがう動きをしている、そして言葉以前

 前回(12月22日)のブログでも触れた与那国島で馬と暮らす河田桟さんの『くらやみに、馬といる』には、くらやみにいる馬の写真とともに、馬といることで思ったことごとを、飾らないある種淡々とした、しかしとても味わい深い文章が綴られていますが、その中にこんな一節があります。ーー「私の通っていた小学校には特殊学級と呼ばれるクラスがあった。さまざまな理由で特殊とされた子供が、学年を超えてその学級に集められていた。/放課後になると子供が教室を掃除する。特殊学級の掃除は普通学級の高学年が当番で行う決まりだったと思う。/私は特殊学級の掃除当番になることを好んでいた。他にそういう子供はあまりいなかったから、たいてい当番になれた。なぜ好んでいたかというと、学校にいるあいだ、楽に呼吸できる感じがあるのは、その時間だけだったからだ。利己的な動機だった。/特殊学級の子供は、いろいろな動き方をしていた。活発な子もいたし、静かな子もいた。反復運動をする子もいたし、型破りな動き方をする子もいた。年齢もいろいろ、身体的な特徴もいろいろ。/みなちがう動きをしている。そのことに私はほっとしていた。掃除をしていただけで深く関わったわけではないから、実際に彼らがどんな気持ちでその場にいたのかはわからない。」
 河田さんが過ごした小学校、そして河田さんが感じた受け止め方が、日本中のどこの小学校、また普通学級に籍を置く子どもがみなそのように感じていたかということでは無論ありません。私自身は、中学校よりも高校、高校よりも大学の方が学校生活を楽しく過ごせた、という思いがありますが、それでも河田さんほど小学校時分に息苦しさを感じていたわけでは必ずしもありません。とは言え、みんなが同じようにしている(少なくとも授業中は)という現在の教科学習や学校での不文律的な規範は、インクルーシブ教育ということで分けない教育を進めるべきだという主張に、そう思う反面、今の学校の形やありようを改めていかないと、知的な障害があったり、発達障害がある子どもの少なからずの子どもが、支援学級や支援学校の方が居心地が良いと感じるのも無理からぬことと思います。教育機会確保法によって、既存の小学校・中学校と違う選択肢がいくつもできて、そのことによって、必要な教育が受けられるようになることも大事なことと思います。もちろん、普通学校で居心地よく学校生活を送ることができたら、それに越したことはありませんが。
 河田さんは、先に紹介した文に続けて、「特殊学級にひとり、まったく言葉を発しない男の子がいた。あまり動かず表情もほとんど変わらない。誰かと関わっているのを見たことがなかった。彼がどんなことを感じ、考えているのか、外からは見えにくかった。どのような理由でこのクラスにいるのかも私は知らなかった。/ある朝、登校中に彼を見かけた。あ、あの子だ、と思った。彼は誰とも関わりたくないだろうと受け取っていたから、そのまま通り過ぎるつもりだった。そのとき、彼がほんのかすかに顔をあげた。そして私にちいさくうなずいた。/うわーと思った。私もちいさくうなずき返した。視線は直接合わさなかった。/(略)/あの時たがいの間で、なにか、ささやかな了解がなされた気がした。ヒトの言葉は使わなかった、」
 言葉が出なかった子どもが、話ができるようになって、いっぱい話し始める時があります。支援の上でも、既に言葉を獲得できている子どもに対して、思いを人に伝えられるように、コミュニケーションをしっかりとっていけるように、という支援目標を立てることもよくあります。しかし、先に挙げた河田さんの言われるように「ヒトの言葉を使わない」で通じるコミュニケーションはあって、それを言葉以前といったらいいのか、言葉を超えたものといったらいいのか、言葉と違うチャンネルといったらいいのか、そのことをしっかりと認識したいと思います。いずれにせよ何がなんでも話し言葉や文字でないとだめだ、と姿勢を取らない、ということはとても大事なことのように私には思えます。
 河田さんの本から溢れ出る魅力は、まだまだ伝えきれていないもどかしさを感じつつも前回と今回、書いてきたことはしっかり自分の心の中に根付かせていきたいと思っているところです。

                                                   森