『1945年のクリスマス』と「虎に翼」
日本初の女性弁護士・裁判官となった三淵嘉子をモデルにしたドラマ「虎に翼」が現在、放送されていますが、たまたま今、『1945年のクリスマス』という日本国憲法に男女平等などの条文案を書いたベアテ・シロタ・ゴードンの自伝を読んでいて、第2次世界大戦前には選挙権もなければ、財産権もなかったと言える日本女性の置かれた立場が、戦後、日本国憲法によってはじめて男女平等が掲げられるようになった舞台裏をのぞかせてもらったように思います。ベアテ・シロタ・ゴードンは、ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人で、ロシア人である両親とともに5歳半の時に日本に来て約10年住み、その後アメリカに留学しました。日本の敗戦によって、日本に残っていた両親との再会を企図していたところ、英語・日本語・ドイツ語・フランス語・ロシア語などに通じていたことが功を奏したのかGHQ民政局の一員として1945年12月に再来日を果たします。その後、GHQが極秘で進めた日本国憲法の起草に従事するよう命じられ、人権に関する条項を担当することになります。起草委員会は、ほぼ40代以上の男性によって構成されていて、唯一ベアテが女性の委員だったと言います(しかも彼女は当時、22歳でした)。第二次世界大戦前には、選挙権も財産権も実質なかったと言える日本女性の状況を身近に見ていた彼女は、男女平等や児童の医療無償、婚外子も嫡出子と同等の権利を認めるなどの草案を書きますが、GHQ内部の起草委員会でその多くは削られた、と言います。しかしながら、現行憲法の第24条の家庭生活における個人の尊重、第25条の生存権の保障と国の社会的責務、第27条の勤労の権利と義務などは、彼女が書いた草案に基づくものと評価されていると言います。アメリカの憲法では、男女同権についての条文はなく、語学に通じていた彼女は、草案を書く前にワイマール憲法などを調べて参考にした、と振り返っています。
ベアテは、1047年5月にアメリカに渡った後も、訪米した市川房枝といった人たちと出会ったりして、女性の地位向上に寄与していたということをこの本によって私も知るようになりました。成文化されなかった草案も含め、現代を生きる私たちにも教えられることの多い条文を辿り直したいものです。
森