「Dr.コトー診療所」と瀬戸上健二郎医師

12月に、テレビドラマ時代から20年近く経った現在地という設定で初めて映画化されることもあってか、ごく最近、テレビドラマの健二郎「Dr.コトー診療所」が再放送されています。脇役に、筧利夫や時任三郎、小林薫、朝加真由美、泉谷しげる、石田ゆり子などを配して、主人公たちを引き立たせていますが、何より原作マンガが、鹿児島県の下甑島という離島の手打診療所に長年勤めてきた瀬戸上健二郎医師をモデルに描かれていたということが、多くの視聴者を引き付ける一つの要因になっていたと言えるのではないかと思います。

瀬戸上さんは、ドラマ化された2003年時点で、既に25年もの間、下甑島に住んで小さな診療所で離島医療に従事していたのですが、結局、2017年春まで39年間も手打診療所にいたということです。もともとは、優秀な外科医として独立開業できるまでの半年という約束からスタートした離島での診療が、目の前にいる患者さんを診なくては、ということを何よりも大事にしたからこその結果として39年という長い年月に至ったということなのかと思います。瀬戸上さんは、その著書の中で、へき地や辺境と言われるが、その地に住む人々にtっては、自分たちの生活している場所こそが世界の中心、都である、ということを言われています。その地では、専門以外の知識や知見、見立ても求められるいわば総合医療医のような役割も求められるということでもあったかと思います。その役を担うには、もともと持っていた技量に加え、情熱やたゆまぬ研鑽などがあってこそでもあるかと思いますが。

今回、再放送されている「Dr.コト―診療所」をビデオで見直していて、特に印象深かったのは、ある患者さんの治療を前にして、海外留学して日本に戻り、Dr.コトーのことを聞きつけて、志那木島(ドラマ上の架空の島ですが、日本の西端の島と設定されているのでロケ地ににもなっている与那国島をイメージしているかと思われます。ただし、島の規模も人口も実際の与那国島よりもかなり小さいイメージの設定かと思います)にやって来る年の近い若い医師に向かって、「医者にマニュアルはない」「僕らは、病気を見るのではなく、人を見るのだ」「同じ病気の患者さんが10人いたら、10通りの治療を考えなくなては・・・」と言います。ここのところは、自閉症やADHDだ、学習障害(LD)だ、知的障害だと言われている子ども(人)に関わる私たち支援者も心得なくてはいけないことだと思います。同じ障害(疾病名)がついていたとしても、性格や志向の違いもあれば、家族構成や家庭などの環境もおのおの違うわけで、そこを丁寧に観察、また情報収集しなければ、ともすればピント外れの支援にもなりかねません。ドラマを再視聴して、そんなことを思いました。