「走る楽しさ」

 オリンピックには、ほとんど関心のない私でも(それより今年、日本で開催されるラグビーワールドカップの方が比較にならないぐらい関心があります)、2000年シドニーオリンピックの女子マラソンで、圧倒的な強さを見せて優勝した高橋尚子がゴールした時のすがすがしい感動は、今でも胸に刻まれています。何より、その時の彼女の走りっぷりは、悲壮感がなく、気持ちよく走っているように見えたのが新鮮でもあり、その快走ぶりは印象深いものでした。
 高橋尚子は、実際、本番レースまで高地トレーニングも含め、ずっと過酷な練習を積んできていたので、レースを振り返って、もっと走りたいというぐらい楽しかった、というようなことを言っています。
 先日、その高橋尚子を指導してきた小出義雄監督が亡くなりましたが、高橋自身も認めているように、小出監督の存在なくして、あの優勝はなかったでしょうし、今の高橋尚子もなかったと言えるでしょう。テレビで追悼のニュースが流れる中で、小出監督が、過酷なレースや練習だからこそ楽しいと思えないと指導が実を結ばない、というようなことを語っている映像が流れました。いみじくも高橋尚子も小出監督を追悼するコメントの中で、小出監督から教えてもらった”走る楽しさ”を後進たちに伝えていきたい、との言葉がありました。
 人を指導する方法には、いろんなやり方があり、スパルタ的な姿勢で選手や生徒に臨み、選手や生徒が苦しいとしか思えないというやり方で成果を上げる指導者もいるでしょう。だから、この方法この姿勢しかないということではないですが、私は小出監督の考え方とそれに応えた高橋尚子の姿に頷くことが多く、共感できます。(実際、小出監督も高橋尚子と有森裕子とでは、性格の違いや現在の状態に対する緻密な分析などがあって、指導法を変えていたといいます。)
 子どもがいきいきした姿を見せる(それも誰のためでもなく)ことができたら、それが社会的に容認されるかぎりにおいて、どれほど望ましいことでしょう。そんなことを思いながら、子どもと接して関わっていけたらと思います。

                                 森