「自分を愛する心」と自尊感情・自己肯定感
何年か前に事業所のお便り「カフー」でも取り上げた詩のことをもう一回取り上げます。それは吉野弘という詩人が、自分の娘が生まれて書いた「奈々子に」という詩です。
奈々子に
赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子。
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いが増えた。
唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。
お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。
ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。
自分があるとき
他人があり
世界がある。
お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労が増えた。
苦労は
今は
お前にあげられない。
お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。
この詩を理屈立ててまとめると、自尊感情を育てることとか自己肯定感を高めることに結び付けることもできなくはありません。これらの言葉は、最近、子どもに関わる教育や支援でよく出てくるキーワード的な言葉になっていますが、この詩を読んだ時に感じる奈々子さんへの思いは、「自尊感情」や「自己肯定感」という言葉に漂う相手との距離感や上下関係とは次元を異にする親愛の情やいつくしみにあふれています。
この詩から感じ取れることは、いまのあるがままを尊く感じる気持ちであり、いとおしく思う気持ちであると言えます。「お前に 多くを期待しないだろう」とはなんと逆説的な言い方でしょう。前後の関係なくこのフレーズだけを取り出せば、なんと冷たく突き放した言い回しというふうに取ってしまうかもしれませんが、もちろん吉野さんはその逆の思いから「多くを期待しない」と言っているのです。
ほかからの期待とは、本人にとって重荷になったり、期待する人のために何かを頑張ることになったりもしないか、といったことも見透かします。それが「ほかからの期待に応えようとして/どんなに/自分を駄目にしてしまうか」という言葉に表現されています。
自分を愛する心、自分のことを大事にすること、それが人をも大事にすること、いとおしく思うことにつながっていく(育っていく)ことをこの詩は、すらっと言い表しているように思います。
私たちが大切にしたいのは、この詩に見られるような子どもへの思い(過剰でも過少でもない)、いとおしく思う気持ちです。
余談ですが、吉野弘さんには、この「奈々子に」以外にも「I was born」「モノローグ」「夕焼け」といったいくつもの素敵な詩があり、今でも私は時々本棚から取り出して、そのいくつかの詩編を読んだりしています。
森