「強度行動障害」という概念
強度行動障害という言葉がいつのころからか使われるようになりました。今、障害福祉サービスという制度の中では、市町村事業である移動支援とは別に、行動障害が顕著な人に対して、介護給付になる行動援護という類型があり、この支援を行う者は、一定の研修を終了した者という要件が定められています。同様に、障害児通所支援などでも2年前の報酬改定により、強度行動障害に該当するとされた子どもが通所し、やはり一定の研修を終了した者が支援を行えば加算が取れる(算定できる)ようになりました。これは、現に強度行動障害の状態にある人(子ども)への支援を手厚くする(報酬上の評価を高くする)という意味合いでは望ましいことと言えると思います。
ですが、強度行動障害者(児)という人(子ども)がいる、という捉え方になってしまうと、それはラベリングして、あたかもそのラベリングでその人を理解できることにつながるわけではないことを失念してしまうことになりかねません。強度行動障害について語られるとき、よく言われることですが、「強度行動障害は作られる障害」である、ということを何よりもわきまえておかないといけないように思います。実際には、何らかの脳へのダメージが関係していている(生物学的背景)可能性があり、かつ育ち・日々の生活で不適切な対応や混乱があって、強度行動障害の状態にある、と捉えることで、どのような支援や関わりがあればいいのかが見えてくるということです。
そもそも「行動障害は、医学的診断名(特定の疾病)ではなく、定義としては”状況にそぐわない不適切な行動で、しばしば他者もしくは本人にとって有害である行動”、具体的には、自傷、他傷、器物損壊、多動、大声、こだわり、睡眠障害、食事の問題(異食等)、その他」(本谷研司「『強度行動障害』について考える」2020.11.7そうそうの杜研修会)が見られるということを言っています。なので、そのような状態にある理由や背景を探らないと間違った(或いは意味のない)対応を取ってしまうことになってしまいます。もちろん、簡単に理由がわからないことの方が多いですし、だからこそ複数の人による観察や見立てとその点検が継続的に必要になってくるだろうと思います。
私自身が見てきている経験でも、行動障害は、初めから強度だったわけではなく、時間をかけて「強度」になってきたという感じが強いです。それは、「適切な対応がなされずに長期化(慢性化)し、場合によっては不適切な対応がさらなるストレス/問題を生み、ケースによっては強化すらされ、より複雑かつ大きなものとなっている可能性がある」(本谷さん・同上)ということであり、だからこそ「問題」が見られたら、早めの適切な対応をとることが必要でしょう。そして、大切な視点は、問題となる行動を失くすことばかり考えるのではなく、そのような行動が必要でなくなる(その人自身にとっても、もともとそのような行動をとりたくてとったわけではなかっただろう)ようなプラスの行動を増やす・見つけていくことかと思います。
本谷研司さんの紹介によれば、日本で「強度行動障害」という言葉が使われ始めたのは、1989年度に財団法人キリン記念財団助成研究「強度行動障害児(者)の行動改善および処遇のあり方に関する研究」が端緒ではないかということですが、それ以前、重症心身障害児施設で「動く重症児」という類型で言われていた人たちが、現在で言う強度行動障害児(者)にあたる(或いは近い)ものだと思います。つまり40~50年前には、強度行動障害の状態にある人が地域で生活していくには社会資源がほとんどなく、重症心身障害児施設で受け入れてきたということでもあったのだと推測されます。ということは、やはり知的障害の特性(定型発達の人に比べてより感覚的な世界への親和性が高い)ということがあったとしても、周囲の人の関わりや環境の問題が大きく、本谷さんが強調されるように強度行動障害への究極の対応は、予防でありそれこそが福祉の真骨頂ということで言えば、私たちの役割は大きいと言わねばなりません。逆に捉えれば、「問題がある環境における「問題」行動は健康な反応かもしれなく、今現在「問題」があろうとなかろうとより良い生活を目指すことに尽きる」、とも本谷さんが言われることを心していかねばならないのだと思います。
森