「世界の果ての通学路」

 前回、このブログで「ブータン 山の教室」に触発されたことを書きましたが、この映画のことを友人に話したら、「世界の果ての通学路」という映画のことを教えてくれました。私は、その映画のことを知らず、しかも数年以上前に上映されていたようなので、どうやったら観ることができるか、と思っていたところ、その友人がDVDを貸してくれました。パスカル・ブリッソンというフランスの監督が、ケニア、アルゼンチン、モロッコ、インドの4か国の10歳前後の子どもたちが、毎日何時間もかかって、しかもある時は命がけで通学する姿を追った映画です。ケニアの兄妹は、片道15kmを2時間かかって、しかも象や肉食獣もいるサバンナの中を抜けていかねばなりません。アルゼンチン・パタゴニアに住む兄妹は、馬に乗って18kmを1時間半かけて通っています。モロッコの少女は友人二人と途中で合流しながらも22kmの山道を毎週月曜日に4時間かけて通っています(1週ごと寮生活を送っていると推測されます)。インドでは、ぼろぼろに錆びついた車椅子に乗った少年を兄弟二人が、時には川を超えて押したり引いたりしながら4kmの道のりを1時間15分かけて学校に向かいます。学校についた途端、出迎えた同級生たちが車椅子を取り囲むようにしてみんなで教室まで運ぶ姿には静かな感動が沸き上がってきました。
 それぞれの国の子どもたちは、将来、パイロットになりたい、獣医になりたい、医者になりたい、教師になりたいという夢を持っていて、そのために勉強するという意思をしっかり持っています。今の日本の子どもたちにもそういう夢を持っている子どもはたくさんいるでしょうが、夢と現状のギャップを感じることも少なくないに違いありません。もちろん映画で描かれているそれぞれの国の子どもたちも、その国(地域)の子どもみんなが映画に出てくるような子どもたちばかりではないでしょう。でも、それにしても、あるときは命がけでそれだけの道のりを想像を絶する時間や困難を超えて、学校に通わせる力(意思、気持ち)はどこから出てくるのでしょうか? 行かないといけないから嫌々でも学校に行くという心性とはかなりかけ離れているようにどうしても感じてしまいます。
 ユニセフ(国際児童基金)は、医療、安全な水などとともに教育が子どもたち、ひいては社会にとって持つ意味合いの大きさを語っていますが、この映画で見せてくれるような世界を見たとき、今の日本の学校世界や学校文化、もっと言えば学校制度が子どもたちの生き生きした姿を奪っていないかどうかを思わずにはいられません。もちろん、ここで言いたいことは先生(教師)一人一人に向けた言葉ではありません。できあがってしまった学校文化や学校制度に対して持つ思いで…もう一度、「世界の果ての通学路」や「ブータン 山の教室」などを観てみようと思う今日この頃です。そして、子どもたちの生き生きした姿をもっと見ることのできる社会でありたいと思います。

                                                    森