「アンパンマン」とやなせたかし
今期のNHK朝ドラ「あんぱん」は、近年出色の朝ドラと言えるのではないでしょうか。その重厚な作りに、朝のバタバタしている時間でも思わず襟を正して見入ることもしばしばです。脚本を手掛けた中園ミホさんが、元々、やなせたかしさんが編集者を務めていた『詩とメルヘン』への投稿者で、生前、やなせさんに会って話を聞いた機会もあったという深い思い入れとつながりがあったことも大いに関係していることには違いないかと思います。6月19日の「あんぱん」はタイトルバックもない非常に緊迫した場面が連続する濃密な内容でした。少年が親の仇をとっても心が晴れない、というセリフは、戦争というものがどれほどむごく、空しいことかを痛烈に私たちに見せつけてきます。中園ミホさんが、数年前に朝ドラの脚本を受け持つことになったときに、NHKのドラマスタッフとの話で、やなせたかしさんを題材にしたドラマにしようという話になったそうです。背景には、ウクライナやガザの戦争が起こったことが関係していたそうです。朝ドラで、これほど何週にも渡って、真正面から戦争を描くのは極めてまれなことのように思いますが、それはやなせさんの人生哲学である「逆転しない正義とは、飢えている人に食べ物を分かつことだ」ということに繋がっていくので丁寧に描かれたことだと思います。
よく言われるように、「アンパンマン」では悪者役であるバイキンマンも、アンパンマンにアンパンチをくらっても、「バイバイキ~ン」と言って、去っていくだけで、登場人物は誰も殺されたりはしません。しかもバイキンマンは、いつも悪いことを企んでいるわけではなく、時にやさしいところを見せたり、わがままなドキンちゃんの言いなりになったり、どこか憎めないキャラクターだったりもします。ロールパンナちゃんのように悪の心と善の心の両方の間で揺れ動くキャラクターもいて、その妹が誰にも愛されるメロンパンナちゃんだったりします。ドキンちゃんにしても、妹のコキンちゃんには弱く、また食パンマンを前にしては恋する乙女になったりもして、言わば人間の多面性をキャラクターづくりに置いている奥深さが「アンパンマン」には随所に見られます。
実は、私は、アンパンマンがこのように多くの子どもから愛されるアニメになるずっと以前から、『詩とメルヘン』に出会っていて、そのやなせさんが描く表紙の絵が毎号素晴らしく、うっとり幻想の世界に誘わるような思いだったことを思い出します。『詩とメルヘン』は、司修、葉祥明、杉浦範茂という当時から或いは後に著名となる何人ものイラストレーターに、素人から寄せられた詩に絵を描いてもらうというユニークな雑誌でした。私が20歳前後の頃は、毎号のように買っていました。なので、やなせさんの詩集『人間なんてさみしいね』とかも読んでいました。
朝ドラの「あんぱん」に合わせるかのように、梯久美子さんという評伝ライターが、文春文庫の書下ろしで、『やなせたかしの生涯』という本を出していますが、「アンパンマン」で体現された逆転しない正義の原点となった戦争体験、最愛の弟・千尋の戦死といった経験も詳細に梯さんは書いています。因みに、梯さんも『詩とメルヘン』の愛読者で、『詩とメルヘン』の編集者になりたくてサンリオ社に入り、後にはれて詩とメルヘンの編集者になっているそうです。で、その評伝によると、戦後、若いころのやさせさんは、その実直な人柄もあってか、永六輔、宮城まり子、羽仁五郎、手塚治虫、谷川俊太郎・・・といった名だたる人から仕事の依頼を受けています。そのころは、困ったときのやなせさんという評価もあって、いろんな仕事を引き受けていたそうです。器用貧乏という言葉がピッタリだったのかもしれません。そういうエピソードを読むと、頼まれるうちが花、と心得て、人からの依頼はできるだけ断らないように見習わらないといけないと言う気持ちにもなったりしました。
7月には、えき美術館京都で、やなせたかし展が開かれるようで、行こうと思っていて、改めて、「アンパンマン」、『詩とメルヘン』、やなせたかしの世界に触れ直したいと思います。そして、いつかは高知にあるやなせたかし記念館も訪れてみたいと思っています。
森