「はみ出し」が許容されること

ひょんなことから知り合いになり、親しくさせていただいているあるケアマネージャーさんに、最近教えてもらった二冊の本が、どちらもいろんなことに気付かせてくれ、新たな思考に誘ってくれる発見にあふれているものでした。

一つは、今日マチ子という漫画家が、2020年の緊急事態宣言発出を機に、SNS上でイラスト付きの日記を綴るようになり、それを「わたしの#stayhome日記」として、書物にまとめた第2弾『Essential わたしの#stayhome日記 2021-2022』です。イラスト付きの日記をひと月ごとに区切って、付録(?)の文章がついていて、その一つに今日自身が、自分が過ごした中高校について「この出身学校が自分に合っていたのは私の人生の中でも、ほんとうに幸福だったと思う。中高時代、突然絵ばかり描くようになった私を否定せず、かといって褒めるわけでもなく、自由にやらせ、見守ってくれた。この経験がなければ私は欠落を何か歪んだ欲望で満たそうとしただろう。大金持ちやエリートなどわかりやすい成功を得たわけではないけれど、それでもしぶとく創作を続けているのは、この学校で私に居場所があったからだ。そして、いま居場所がなくても、きっとどこかにあるはずだ、という希望を持ち続けることができるようになったからだ。」と書いているのですが、そうだ、自分もそうだった、と思わず私は呟いていました。

私は、新設された公立高校に入学、3年間を楽しく過ごしましたが、卒業する年に校歌が制定されるときに、その経過に納得がいかず、同級生何人かと共謀して、卒業式では、新しく決まった校歌ではなく、別の歌(確か「翼をください」だったと思います)をみんなで歌ったというエピソードを持っています。でもそれは決して何人かの生徒だけで準備ができたわけではなく、その歌詞カードを事前に印刷させてくれて、いわば黙認してくれた教師がいました。またもっと個人的なことを言えば、別の政治・経済の先生は、テストで私がわざと答案用紙に「アメリカ合衆国」と書かずに「アメリカ合州国」と書いたのも、ユーモアあふれるコメントをつけて○にしてくれて返してくれたり等々、ひねくれ者の自分を受け入れてくれた教師や友人たちがいて、居心地よく高校生活を送ることができたと思っています。それどころか、大学では、大学案内に、わざわざ「はみ出し者、ひねくれ者のきみこそ歓迎する」とはっきり受験生にメッセージを送る教員もいて、自由な雰囲気に身を置いた貴重な時間を過ごすことができました。それは数十年経った今でも自分のかけがえのない財産になっています。だからこそ、上に引用した今日マチ子さんの文章がストンと胸に落ちました。

また、この『Essential』の別紙解説で、作家の辻村深月さんが「今いる大人が誰も経験したことのない「コロナ禍の子ども時代・学生時代」に「失われた」という表現が容易に遣われることに、実を言えば、私はとても抵抗があった」と書かれていたのには、どきっとしました。修学旅行や運動会、クラスメートと机をくっつけての給食時間・・・と失われたものはたくさんあるけれど、「その悔しさや葛藤があればこそ、「失われた」という言葉を容易に持ち込むことで、彼らのその一年、その一カ月、その一日がまるごとなかったかのように言われてしまうのが釈然としなかった。制限が多く、形も変わった日常の中で、それでも私たちは日々を生きる。「今」を自分のものにしてその時の中で成長する。」と言っています。あたりまえと言えばあたりまえのことではあるのですが、この2年は「失われた」と言ったとして、その時間が停まっていたわけではなく、コロナ禍であろうとなかろうと私たち誰もがこの時間(2年)を生きて、さまざまな思いを持ちながらも日々を送ってきたことに違いありません。この解説を踏まえて、今日さんのイラスト日記を読むと、ひときわこの日々を愛おしく感じられます。

因みに、私は、今日マチ子さんのことを、確か5~6年かぐらい前に、京都マンガミュージアムで行われた「戦場のガールズライフ~岡崎京子展」タイアップ講演会で、今日さんのお話を聴くまでその存在を知らず、しかし、その作家名が往年の女優・京マチ子からとったのであろうこと、また岡崎京子が大の小津作品好きであったことなどから、今日さんが岡崎京子を敬愛していることもすぐに合点がいったものでした。『Essential』の前作、『Distance』もまた手に取って読みたいと思っています。

知り合いのケアマネージャーさんに教えてもらったもう一冊の『ヘルシンキ 生活の練習』から示唆を受けたことは、また次回のブログで紹介したいと思います。