「さようなら」~別れを惜しむ言葉の語源

 須賀敦子という人のことをいつの頃から気に留めるようになりながら、実際に彼女の著作を手にしたのは、彼女が亡くなっておそらく20年近く経ってからのことでした。
若くして、船に乗ってヨーロッパに留学し、一度は帰国するものの、再度渡欧し、イタリアで後に夫となるベッピーノをはじめミラノのコルシカ書店関係の人脈を得て、40歳過ぎまでイタリアで暮らし、帰国後は大学で語学の講師などをしながら、1985年以降10余りの期間に、たくさんのエッセーを発表して、単行本も何冊も発行されていたことも、私は全く知らないままでした。その全容は、河出文庫から全8巻の全集で確かめることができますが、遅まきながら私もそのうち4冊を読んできました。その全集に収められた「葦の中の声」というエッセーに、アン・モロウ・リンドバーグが、夫のチャールズ・リンドバーグ(世界初の大西洋単独未着陸飛行を成し遂げた飛行家)とアメリカから北廻りで東洋に足を踏み入れようとした飛行中、千島列島の葦の茂みに不時着し、救出を待つ、というくだりが紹介されます。千島列島での救出後、東京で熱烈な歓迎を受けた夫妻が、横浜の港から出港する際に、埠頭をぎっしり埋める見送りの人々が甲高く叫ぶ「さようなら」の言葉の意味を知って、新しい感動に包まれた、と言います。「さようなら」というのは、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味と教えられて、なんという美しい諦めの表現だろうと思った、ということを紹介しています。アン・リンドバーグが、そのことを書きつけた前に、夫妻の1歳半の子どもが何者かに襲われて惨殺されるという痛ましい事件に見舞われていて、英語のgoodbyeの「神がなんじとともにあれ」という語源とは全く違う日本語の背景にある諦念、つまりは世の無常・生の有限性への自覚にもつながる思想性を読み取っていたのかもしれません。
 ちなみに、須賀敦子には、サン・テグジュベリやシモーヌ・ヴェーユにも触れたエッセーもあり、その含蓄ある文章には、人生の深みが垣間見えて、日々を丁寧に生きることを教えられます。

                                                                     森