「おれがあいつで あいつがおれで」(「転校生」)

 5月の連休中に、何本かの映画を家でDVDで観ましたが、そのうちの1本・何年振りかで観た「転校生」は、何回観ても人が人を思う気持ちを、子ども二人がお互いの体を入れ替わることで、身をもって知ることという方法で見せてくれるというということで、特にラストは甘酸っぱくもすがすがしさに心洗われます。(この映画の監督は、先日亡くなった大林宣彦で、いわば彼の決定的な出世作と言われています。)
 身体が入れ替わるという話は、近年ではいわずもがなの「君の名は。」を真っ先に思い浮かべる人も少なくないかもしれませんが、そのような映画やテレビドラマの先駆けが、1982年に公開された「転校生」で、この映画でそれまで無名だった小林聡美と尾美としのりが、一躍脚光を浴びる存在になったといえます。その後は、例えば、舘ひろし演じる父と新垣結衣演じる娘が入れ替わる「パパとムスメの7日間」、大人の女性二人の体が入れ替わる「さよなら私」、「転校生」のリメイクである「転校生~さよならあなた~」とこのような設定は、繰り返しいろんな人が用いています。というのも、人の立場になってものごとを考える、知る、感じるという、言うはたやすく実行は難しいことを、このような手法を用いることで私たちに見せてくれるということが大きいのだと思います。
 ついでながら、この「転校生」を観て、尾道という街並みに魅かれ、何年も経ってからですが、尾道の映画ロケ地巡りもしたときは感慨深いものがありました。また、映画の中で向島への渡し船が夕景に染まる中で、バッハの「G線上のアリア」が流れるなどのクラシック音楽をBGMに使うなどのセンスも感じる作品です。さらに、映画中の国語の授業で、朗読される詩が、吉野弘の「奈々子に」だっということも、今回観て思い出しました。細部へのこだわりも感じますね。
 で、この「転校生」には、山中恒の「おれがあいつで あいつがおれで」という原作があります。原作の主人公は小学校6年生で、それが映画では中学生に変わっているので、原作を読むと肌合いは違う感じを持ってしまいますが、山中恒には「ぼくがぼくであること」などの傑作もあり、ときどき読んでみたい作家です(本人は、児童文学者と言われることを嫌い、児童読み物作家と自称されているようです)。
 家にいることが圧倒的に長くなる昨今、休日には、しばらく観ていない映画を観たりするのもいいな、と思えるこの頃です。

                              森